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新しい名前のパンが突然やってきてブームになっては過ぎゆく傍らで、シンプルな天然酵母パンを一途に焼き続ける人がいる。

熊本市にアトリエをかまえる、パン・お菓子職人で料理家の髙山由佳さん。月に数回だけあるアトリエの販売日。パンやお菓子を求め、関東から通う人もいるという。

 

食べることは生きること、

酵母と一途に向き合う想いも、やさしい味の原材料

しばしば “やさしい味” と形容される由佳さんのパン。見た目は素朴ながら、ずしりと重く、一度食べると、噛めば噛むほど小麦と酵母がじわじわと、口いっぱいに広がる感覚の虜になる人続出。食べる前から食後まで嬉しさがつづく。

その真ん中にあるのが、長く食と向き合ってきた由佳さんの想い。

 

「私たちは食べなくちゃ生きていけないんです。食べるということは他の生き物の命をいただいているということ。いただくのであれば、笑顔で幸せを感じて欲しい。その仲介に私がいると思っています」

由佳さんのパンの代名詞ともいえる、天然酵母の材料は月替り。熊本市郊外にある親戚の畑でとれる果物や草花を中心に、「忙しく暮らす人に季節感を感じてもらえればいいな」と想いを巡らせながら選んでいる。

 


特にファンが多いのは、ずしりと重い定番の角食

 

「もぎたて、とれたてのものには自然の菌がついていて、酵母を起こすのに合っているし、まるごと使って体に入るものだから、手に入るのならできるだけ無農薬のものがいいんです」

お盆前のこの日、ちょうど起こしていたのは、翌月登場予定だというぶどうと桃の酵母。小麦と合わせて種継ぎをして、あえて元の素材の味を薄めるのが由佳さん流。

 


まるでわが子のように大切そうに持ち出してくれた酵母のびん、「最初の位置の目印に」とつけられた小麦のタッパーの輪ゴムがチャーミング

 

「私がつくりたいのは酵母が立ちすぎていない、毎日でも食べられるシンプルなパン。ふわっと仕上げたいので、なんの酵母かは、ほんのり香る程度がいいと思っています」

工房では基本的にエアコンをつけないため、同じ場所でも季節によって酵母が起こるまでの塩梅が変わる。

「毎回心配でしょっちゅう見てます。パンは忍耐ですね」

そう語るやわらかな表情のすきまに、竹のようにしなやかな強さが見え隠れする。

 


シンプルにセレクトされ並べられた調味料や道具、パン作りの道具はこれでほぼ全部

 

主に使っているのは、北海道の小麦粉、五島の塩、黒砂糖、てんさい糖。

「この粉、この塩、この砂糖にたどりつくまで、ずいぶん時間がかかりました。たまに浮気するけれどまた戻ってくるんです」

塩は粗めでパン向きではないけれど、美味しいから使うという潔さ。「おいしく食べてくださいますように」という想いから選んだ粉たち一粒一粒が、「やさしい味」を織りなしている。

 

天気も空気も鮮明に覚えている、

すべてが衝撃だった天然酵母との出会い

今やパンもお菓子も、お料理も、つくるものすべて大人気のゆかさん。実はそもそも、料理に興味も無ければ、特段食べることが好きじゃなかったという意外な過去を教えてくれた。

ただ、思い起こしてみると大学時代から「パンをつくって食べる」ことだけは好きだった。当時憧れていた、山暮らしを描いた本を見ながらつくったパンは、とっても素朴で(材料はほぼ小麦と水だったんじゃないかと記憶しているほど)、「私が夜に焼いておいていたら、翌朝家族がスープにひたして食べていた」という笑い話も。


使い込まれた道具が並ぶアトリエのキッチン

 

その後、偶然のめぐり合わせから食の世界に足を踏み入れ、なにげなく出会ったのが天然酵母パンのワークショップ。

「食べた瞬間、“なにこれ” って。イーストのパンとの風味の違いに衝撃を受けました。今でも、その時の天気も空気も覚えています。それまで天然酵母のパンがあるというのも知らかなったし、食べたこともなかったので」

衝撃を抑えきれぬまま、早速埼玉の天然酵母パンのお店に出向いて学び、熊本に戻ると早速自分で起こしはじめる。

「自分が食べたい」シンプルなパンに近づくため、それまで焼いていたイースト菌のレシピを天然酵母に置き換え、会社員の傍ら不定期で販売をはじめると、その評判はだんだんと人づてに広まり、独立へのきっかけとなった。

 


アトリエ販売以外では、くらしの道具を扱う「HOTOLI」他、熊本や福岡の雑貨店、服飾店、喫茶などで不定期販売されている(2022年10月現在)

 

パンが好きな大学生が、ひょんなことから調理の世界に入り、偶然の出会いから求めていたパンを焼くように。決して近道ではなかったが「私は昭和の人間なので。“これがしたい”より、ただ目の前の求められることをひたすらに追いかけていたらいろいろな人との出会い、タイミングが巡ってきたように思います」と振り返る。

 


調理の仕事を始めた当初は、録画した料理番組を毎晩見返して学んだそう

 

自分のまんなかに響く機微を見失わない感覚と行動力、一歩一歩地道に進む責任感や実直さのすべてが、日々天然酵母と向き合う今の由佳さんの姿につながっているように映った。

 

「おいしく食べてくださいますように」を交換する空間

独立した矢先、熊本地震が起き、予期せずそれまでの活動拠点を失うことになった。それがきっかけとなり「自分の場所をつくろう」と2年がかりで建築したアトリエは、ファンたちのインスタグラムにも度々登場する。

幼い頃この地で暮らした由佳さんが望んだのは、周囲の住宅街の景色に馴染みつつ、訪れる人がすぐに「ここだ」とわかるような佇まい。外観は一般住宅のようでもありながら、玄関に上るコンクリートのステップを上るとき、心のトーンも高まるのに気がつく。

ここでのお買い物体験も含めて、トータルでお菓子やパンたちの魅力がそろうといってもいいほどに素敵な空間。

 


大きなアンティーク扉の外部は木のまま(冒頭の写真参照)、内側は内壁と同じ白に塗装

 

月に数度のアトリエオープン日、扉の先の古いショーケースにはパンやお菓子が整然と並び、訪れる人ひとりひとりに、由佳さん自らがひとつひとつの説明してくれる。その語り口、丁寧な言葉からすでに美味しさあふれていて、つい予定より多く持ち帰ってしまう。

 


入り口と内部の空間をゆるりと区切るショーケース、販売日にはパンとお菓子が並べられる

 

製造から販売まで、全てひとりでこなしており、販売の前日は夜中2〜3時までパンを焼く。以前は、朝まで焼いてそのまま販売に出向いていたこともあったのだそう。

「アトリエでは移動や袋詰がないので大型パンは夜、小型パンは朝から焼いてお昼からオープンというリズムができました」

 


アトリエ内部には大きな窓から光が注ぎ、キッチン正面に配置される緑が心地いい

 

オープン日にショーケース前で繰り広げられる会話から、後日お料理会が開催されることも。

「みなさんが笑顔で食べてくださるのが嬉しくて。『おいしく食べてくださいますように』と考えながらつくるんです。その人がどんな体調のときでも美味しかったらいいなあと、と。下積みとか、テクニックとかがない分、(栄養成分というより)自然とそっちを考えるのかもしれないですね」

 


熟した桃をつけこんだジャスミンティーとマンゴースープも絶品

 

アトリエを訪れる人は、パンやお菓子の味を、そしてこの空間での由佳さんとの触れ合いを求めてやってきて、「美味しく食べてくださいますように」の想いを持ち帰る。

 


皮や種まで使える材料は干して調味料に活用、まるごと使うのが命をいただく責任だと考えているから

 

ふだんの暮らしの中で、月に数回だけ繰り広げられる体験、そこから広がる未来へのわくわく。

自分だけの秘密にしておきたいようで、学生の内緒話のように、大切なひとにはつい教えたくなる時間と空間があることは、その地域にとって細やかな誇りにつながるように思う。

パンを買って、食べる。文字にするとただそれだけの、普通のことが、気持ちをじんわりあたためてくれる。そんなつくり手さんがいることが、わたしのまちを、日々を、豊かにしている。

 

 

yuka takayama

atelier address :熊本市東区戸島西1-14-32

月に数回のアトリエOPEN DAYやイベントは、Instagram、WEBサイトでご確認ください。

熊本市にあるくらしの道具のお店「HOTOLI」他、近隣のお店でも不定期販売を行っています。

Instagram : @yuka_takayama_atelier

https://www.chanowa.net/

 

月1回の予約販売

注文受付/毎月 1日〜5日を予定

商品発送/毎月 中旬〜下旬を予定

 

Text|Mai Watanabe

熊本市在住、会社員。

山とバレエをかじりつつ、お酒に合うごはんに目がない有休トラベラー。

 

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