FUDGENA
わたしが引っ越した理由
ぜんぶ、家のせいだ。
2年前の冬、当時抱えていた人生の行き詰まりを、わたしは住んでいる家のせいにした。
窮屈で日当たりや風通しが悪いのは、わたしのこころではなく、この家だ。そんなふうに考えたわたしは、心機一転、引っ越しを決意する。
不動産屋に行き、店先に貼ってあるいろんな間取りのチラシを眺めていたら、人の良さそうなおじさんが店内に案内してくれた。
カウンターの挟んで対面に座ると、おじさんから改めて尋ねられる。
「どんなお家がいいですか?」
不動産屋に行けば必ず聞かれる質問。
けれどこっちは「人生の行き詰まり」というかなりざっくりした理由しか持ち合わせていないので、たとえば立地や家賃の現実的な条件は少なからずあるのだが、部屋そのものに対する希望はというと特にない。
どんな家がいいのか、考えもなしにのこのこと不動産屋に来てしまったわたしはこの質問に困った。
困っているわたしの対面で、おじさんも大変に困った様子。
気まずさが飽和点に達しかけたその時、ひとつの条件が頭に浮かんだ。
むしろ、このたったひとつの条件のために、わたしは引っ越しを決意したのかもしれないとさえ瞬時に感じた。
それは「良い窓があること」。
そう伝えるとおじさんはさらに困ったように頭を掻いた。
窓展 窓を巡るアートと建築の旅

東京国立近代美術館で開催中の「窓展」フライヤー
窓ってドラマチックだ。
わたしたちの暮らしの中にある日常的なものだけれど、窓のあるところにはいつだって物語が潜んでいる気がする。
この物語の予感は何だろう。なぜわたしたちは窓にドラマを感じるのだろう。
今、東京国立近代美術館で開催している、窓に注目した美術展「窓展:窓を巡るアートと建築の旅」。
窓にまつわる多様な作品を集めた展覧会で出会った、物語の数々。
絵画と窓

エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー『日の当たる庭』:額縁と窓、二重に切り取られた風景
そもそも、絵画と窓はとても似ている。
美術館の展示室には窓がないのに、閉塞感がなくあんなにも広がりや奥行きを感じるのは、壁に掛けられた絵画が窓の役割を果たしているからなんだと思う。
窓も絵画も、ここではない世界を切り取ってみせるから。
窓が持つ物語の予感、その正体はなんだろうと考える。
たとえば、アンリ・マティスの絵画作品『待つ』。
ふたりの女性が窓辺に立っているだけで、こんなにも想像が膨らんで、胸が押しつぶされるのはなぜだろう。
彼女たちは窓の向こうに何を見つめているのだろうか。

アンリ・マティス『待つ』:このドラマの気配はどこからくるのか
こちら側とあちら側
窓が登場する様々な作品を眺めていたら、ひとつの考えが頭をよぎった。
窓がある場所には、窓の「こちら側」と「あちら側」がある。
窓によって作り出されたこの距離ある関係性こそが物語の予感なのかもしれない。
窓によって生じたこの関係性、さらに言えば、ここには特別な空気がある、ような気がする。
ただ空間を仕切ってふたつに分けるのであれば、「扉」や「壁」でも別にいいわけだ。
けれど何によって仕切られているか、それによってふたつの空間の関係性は確実に変わってくる。
窓は「扉」のように自由に出入りができるわけでないし、「壁」のように完全に遮断するというわけでもない。
その曖昧さっていうのが、わたしたちの感情によく似ている。「憧れ」とか「憂い」とか、不安定に漂うわたしたちの感情に。
物語を必要とする心の揺れに寄り添うのは、扉でも壁でもなく、窓なんだ。

ウジェーヌ・アジェ『紳士服店』:ウィンドウショッピングの楽しさは、物欲以上に、ガラスの向こう側への憧れでできている
扉でも壁でもなく、「窓」だからこそ成立する作品が展示されていたので紹介したい。
その作品は、見知らぬ他人から突然届いた一通の手紙から始まる。
「見知らぬ人へ
私はアーティストで、現在写真を使ったプロジェクトを進めています。
(中略)
私は夜、あなたが自分の家の部屋に立っているところの写真を外の通りから撮りたいと思っています。カメラは、窓の外にセッティングされます。
もしあなたが写真を撮られても構わないなら、_月_日の_時_分に、通りに面した部屋から10分間、窓の外のカメラを見つめてください。
(中略)
私はあなたの家のドアをノックして、あなたに会おうとしたりはしません。会話を交わすこともありません。撮影が終わったあとも、私達は他人同士でお互いを知らないままです。」
差出人不明の手紙から始まる、横溝静の『Stranger』。
撮影者と非撮影者がお互いの素性を知らないまま撮影された写真作品シリーズ。
窓のこちら側とあちら側。わたしたちは隔たれたままにして、出会うことができる。
そして手紙はこう締めくくられる。
「窓の向こうから会えることを心から願っています」

横溝静『Stranger』の写真作品:窓を介して、出会うことなく撮影された写真
比喩としての「窓」
窓そのものが比喩として使われている作品の中で印象的だったのが、日中韓のアーティスト3名によるインスタレーション。
引っ越し直後の新居みたいにダンボールが積み上げられてたゲートは、架空の国家「西京国」への入国管理局。
国の「窓」として捉えられたその入国管理局をはじめ、西京国は子どもたちの工作みたいなゆるさとおかしさでわたしたちを迎えてくれる。
その窓から見るユートピアはコントみたいに楽しくて、自由で。
夢中になって窓をのぞいていたら、そこに反射して映ったこちら側の世界にふと気づく。
それは国境という架空の線に縛られて、そこにがちがちのコンクリートで入国管理局をつくり、命からがら逃げてきた人々をシッシッと追っ払う、わたしたちの現実世界。

『西京入国管理局』西京へようこそ、パスポートはいりません、あることをすれば誰だって入国できますよ
窓がつくる物語
冬は日が暮れるのが早く、閉館のお知らせが流れ出した美術館を出れば外はすでに真っ暗だった。
帰り道、立ち並ぶ家々にはいろんなカタチや大きさの窓。そのひとつひとつに灯る柔らかいあかりを見ながら、その向こう側にあるもっといろんなカタチや大きさをした人間の生活を想像してみる。
そんなふうにしてやっと家に到着し、照明をつけると、部屋の窓に自分の姿が映った。
今わたしはあの不動産屋のおじさんが紹介してくれた部屋に住んでいる。小さくて平凡なアパートの一室、決め手はこの正方形の窓だった。
サイズが合わなくて仕方なく特注したカーテンを閉めようとして、なんとなく窓を少し開けてみる。
細く開けた窓の隙間から、冬の匂いのする夜の一片が部屋の中に滑り込んできた。
四角く切り取られたわたしの世界にも、たしかに物語の予感がした。
カトートシ
1991年生まれ
大学時代は文学批評を専攻。
書店員や美術館スタッフ、カナダでのライター経験を経た後、
2018年よりカトートシとして活動を開始。
現在は大学で働く傍ら、カルチャー関連のエッセイ等を執筆。
カトートシという名前は、俳人である祖父に由来するもの。
Instagram:@toshi_kato_z
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