FUDGENA

 

洋服を着替えるように、インテリアを変えるように、
気軽に自由に、アートを飾るのはどうだろう。

アート一枚で部屋の雰囲気はガラリと変わるし、
さらにその絵に〈物語〉があれば、いつもの空間がもっと素敵になる。

 

あなたの部屋に飾るとっておきの一枚を、
その絵からインスピレーションを受けて生まれたショートストーリーを添えて。

 

◆今日の一枚:ジョセフ・アルバース『正方形賛歌』

 

【折り紙教室】

休み時間の6年1組の教室。

開けた窓から吹き込んでくる風はもう10月だというのにまだしっかり夏の匂いがする。

その風に少し揺られながらも、そのカマキリは机の上ですっと直立した。

ピンと伸びた触覚、鋭利なカマの先、繊細な脚。

今にも動き出しそうなそのカマキリは、折り紙でできていた。

 

「これ、すごいだろ」

自慢げにカマキリをつまみ上げるコウスケの手に視線が集まる。

よくある鶴とか兜とか、そんなものとは次元の違うかっこいい折り紙にぼくらは惹きつけられた。

「すげー、いいなあ」

「俺も欲しいー」

学校の裏にある神社の境内で、おじさんが折ってくれたのだとコウスケは言った。

ぼくらは学校が終わるとコウスケについて境内へ走った。

 

木々に囲まれて翳った境内はひんやりとして気持ちがいい。

そこで涼みながらしばらく待っていると、自転車に乗ったおじさんがやってきた。

薄汚れたシャツにぼさぼさの髪。

ふらつく自転車の前カゴには、色とりどりの折り紙がはためいていた。

 

おじさんはびっくりするくらい、なんだって折れた。

精巧な飛行機、優雅に泳ぐ熱帯魚、絶滅した恐竜、佇立するモアイ像、求愛ダンスを踊るクジャク。

ぼくらが思いついたままにリクエストしたものを、おじさんはすぐさま折ってみせた。

「なんでも折れるの?」

コンちゃんが聞くと、無愛想な声が返ってきた。

「なんでも、ではない」

「じゃあさ、じゃあさ、おじさんにも折れないものってある?」

ある、とおじさんは小さな声で、でもはっきりと答えた。

ぼくらが見る限り、おじさんなら世界中のどんなものでも折れそうに見えた。

おじさんの折れないものってなんだろう。

ぼくらは頭を振り絞ってなるべく難しそうなものをリクエストしたけれど、おじさんはまるで魔法のように一枚の折り紙からなんだって見事に折ってみせた。

 

ぼくらは学校が終わると神社の境内に集まるようになった。

境内に行くと、おじさんはいつだって縁側の端に座り、背中を丸めて折り紙を折っていた。

ぼくらもおじさんを真似ながら、いろんなものを折った。

ぼくらがどんなに上手に折っても、おじさんは他の大人みたいに安易に褒めたりしない。

無口で、無精髭の口元はいつも真一文字に結ばれて、でも節くれだった無骨な指先だけはしなやかで、繊細で、優しくぼくらを導いてくれた。

 

間延びしたような夏はいつのまにか秋にとって変わられ、ひたひたと染み込むように冬がやってきた。

学校は冬休みに入り、年が明け、壁にかけた新しいカレンダーみたいに街も雪で真っ白に覆われた。

 

冬休みが終わり、久しぶりの教室はいつもよりも賑やかだった。

その教室に響くほどの大きさで、テツが興奮した声をあげた。

「まじかよ、スッゲー」

コウスケがお年玉で新しいゲームを買ったのだ。

それはどこを探しても売り切れのすごく人気のゲームで、コウスケは親の仕事の関係で特別にゲットできたらしい。

ぼくらは学校が終わると、連日コウスケの家に通うようになった。

 

街を覆っていた雪は次第に溶け、春はもうすぐそこまで来ていた。

まだまだ先だと思っていた卒業式はあっという間にやってきて、もうここに来ることもないのだという実感も持てないまま、ぼくらは教室でいつもの調子でふざけあいながら荷物をまとめていた。

「なんだこれ」

隣で机の中を整理していたコウスケが引き出しの奥に手を伸ばす。

引っ張りだしてみると、それは押しつぶされてくちゃくちゃになった、カマキリの折り紙だった。

 

ぼくは卒業証書の入った丸筒を抱え、神社の境内へと急いだ。

息を切らして境内に駆け込むと、寒空の下の縁側でおじさんはひとり、折り紙を折っていた。

あの夏の日からずっとそこにいたかのようなその小さく丸まった背中に、ぼくはいてもたってもいられなくなって駆け寄った。

「おじさん、ごめん」

おじさんはゆっくりと顔を上げて、眩しそうに僕を見た。

けれど何も言わないまま、また下を向いて折り紙を折る。

「コウスケのやつが新しいゲームを買って、それでどうしても家に来いって言うから、それで、それで」

慌てて早口になってしまう。本当はこんな言い訳みたいなことを言いに来たんじゃないのに。

 

そのとき、境内を取り囲む木々が寒風に揺れて一斉にざわめいた。

 

うねりをあげるような大きなざわめきが静まると、おじさんが小さな声で言った。

「きみは、世界が何でできてるか知ってるか?」

ガサガサとした、紙が擦れるような声だった。

首を横に振るぼくに、おじさんは言った。

「世界は正方形でできてるんだ」

ちょうど、こんなふうに。おじさんがまっさらな折り紙を宙でひらひらと揺らした。

 

おじさんは、折った。

開いては折り、重ねて折って、また折って。

ゆっくりと丁寧に。切ったり貼ったりなんかせず、ただただ、折る。

その繰り返しの末に一枚の紙に命が宿り、そこに存在が立ち上がる。

「わかるか、正方形からすべてが始まるんだ」

そう呟くおじさんの指の先で、またひとつ世界の断片が出来上がった。

 

その光景を目の当たりにして、ぼくは思った。

ぼくらが生まれるもっともっと前、神様はこんなふうにして世界を作ったのかもしれない。

揺れる木々の間から漏れた暖かなオレンジ色の西日が、おじさんの指先を明るく照らしていた。

 

結局、中学生になったぼくらが神社の境内に行くことはもうなかった。

おじさんが亡くなったと聞いたのは、ぶかぶかだった制服がすっかり体に馴染みはじめた頃のことだった。

噂によるとおじさんは末期の癌だった。

家族がなかったおじさんは自宅でひとり亡くなっていたと聞いたけれど、本当のところは誰にもわからない。

 

〈折る〉と〈祈る〉が似ていることにぼくが気がついたのは、それよりもさらにずっと後のことだった。

 

カトートシ

1991年生まれ

大学時代は文学批評を専攻。

書店員や美術館スタッフ、カナダでのライター経験を経た後、

2018年よりカトートシとして活動を開始。

現在は大学で働く傍ら、カルチャー関連のエッセイや小説等を執筆。

カトートシという名前は、俳人である祖父に由来するもの。

Instagram:@toshi_kato_z

 

 

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