FUDGENA

 

洋服を着替えるように、インテリアを変えるように、
気軽に自由に、アートを飾るのはどうだろう。

アート一枚で部屋の雰囲気はガラリと変わるし、
さらにその絵に〈物語〉があれば、いつもの空間がもっと素敵になる。

 

あなたの部屋に飾るとっておきの一枚を、
その絵からインスピレーションを受けて生まれたショートストーリーを添えて。

 

 

◆今日の一枚:ウィリアム・モリス『フルーツ』

 

【真夜中のレモネード】

檸檬をてのひらでこするように洗い、その楕円形に包丁を入れると白熱灯が照らす小さなキッチンに目の覚めるような酸っぱい香りが広がった。

砂糖と蜂蜜。あとはひとつまみの塩。

スライスした檸檬を重ねるようにして瓶に詰めていく。

 

今日、叔母から檸檬が届いた。

叔母とはもう随分会っていない。最後に会ったのは、たしか私が小学生の時だった。

ロンドン郊外の村にある、おとぎ話に出てくるような赤い三角屋根の家の前で、叔母は私たちの車を眩しそうに目を細めて迎えてくれた。

もともと背が低かったけれど、大柄な夫のウィルの横に立つ叔母は小人のようだった。

 

叔母の庭は、日本にいた時のそれと比べ物にならないくらいに広かった。

この庭があったから移住を決めたのよ。

甘く匂い立つ桃を収穫しながら、ウィルには内緒ね、叔母はそう言った。

 

叔母の庭には果物のなる木がたくさんあった。

桃にざくろにオレンジ、そして檸檬の木が重そうにたくさんの実をぶら下げていた。

そこに尻尾の大きなリスが駆け回り、小鳥たちが羽を休めにくる。

私がスケッチブックをひろげてその動物たちを描いていると、叔母は後ろから覗き込んで褒めてくれた。

本当に上手なこと、絵描きさんになればいいじゃない。

 

自由で、軽やかな叔母。

自分の人生を、自分のために送っている叔母。

それに比べて私の人生は−…。

 

絵が好きだという笑ってしまうくらいに単純な理由で芸術系の大学に進んだけれど、周りを見渡せば、絵を好きなのはもちろん、才能だってあるって人がごまんといて、そこにいるだけで恥ずかしいような申し訳ないような気持ちで毎日を過ごしていた。

好きなことをして生きていくことは早々に諦め、早めに就活を始めたおかげでそれなりの企業に就職できたと安心したのも束の間、未曾有のウイルスが世界的に感染拡大したことで、この春、あっさり解雇となった。

 

転職サイトをなんとなしに眺めながらもこの部屋から動けないまま、窓の外はもうすぐ夏だ。

惰性でつけっぱなしになったテレビから、そのウイルスがイギリスでも猛威を振るっているというニュースが流れてきて、久しぶりに叔母のことを思い出し、メールを送ってみた。

 

お久しぶりです。元気でやっていますか。

世界はこんなふうだけど、

あなたのことですから、きっと自分らしく素敵な日々を送っているのでしょうね。

追伸:

この度、会社を辞めることになりました。

人生にはどうしたって仕方のないことがありますね。

 

叔母から返信はなかった。

かわりに今日、突然荷物が届いた。

開けてみると、眩しいほどの黄色が一気に目に飛び込んできた。

いっぱいの檸檬だった。

一緒に入っていた手紙には、たった一文。

〈When life gives you lemons, make lemonade.〉

 

人生があなたに檸檬を与えるのならば、レモネードを作ればいい…?

 

22時を過ぎたキッチン。

黄色の楕円形をてのひらで転がしながら、叔母のレモネードのレシピを思い出す。

 

皮も種も、ぜんぶ入れるのよ。

苦味や渋みが出るからって取り除いてはいけない。

それが美味しいレモネードになる秘訣なの。

 

懐かしい叔母の声がすぐそばで聞こえた気がした。

檸檬を瓶に詰め終えて、一週間寝かせる。

一週間後にはきっと美味しいレモネードができているはずだ。

 

時計を見ると23:40をさしている。

檸檬の香りで、眠気はすっかり覚めてしまっていた。

叔母からの手紙をもう一度見る。

〈When life gives you lemons, make lemonade.〉

どういう意味だろう。英語特有の言い回しだろうか。

 

調べようとパソコンを立ち上げると、前回アクセスした転職サイトの画面のままだった。

そこに「【急募】イラストレーター」という文字。

見出しの横に表示された応募の締切は、今日の24:00だ。

頭で考えるよりも先に、キーボードを打つ指が動いていた。

 

〈ご応募ありがとうございました。面接に進むかたには一週間後にご連絡します〉

パソコンを閉じて、ふっと息をつく。

高鳴る胸を落ち着かせるようにベランダに出た。

柵に寄りかかると、優しい夜風が頬を撫でていった。

 

一週間後、か。

頬杖をつくと、てのひらから檸檬の香りが微かにした。

 

illustration by @emu_pics

 

カトートシ

1991年生まれ

大学時代は文学批評を専攻。

書店員や美術館スタッフ、カナダでのライター経験を経た後、

2018年よりカトートシとして活動を開始。

現在は大学で働く傍ら、カルチャー関連のエッセイや小説等を執筆。

カトートシという名前は、俳人である祖父に由来するもの。

Instagram:@toshi_kato_z

 

 

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