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通学路にいた一匹の犬
犬が、怖い。
昔、近所に老夫婦が営む小さな家電量販店があった。その店先には犬がいた。
大きくて、老いた、おとなしい犬。いつも寝ている。
小学校の通学路にあるせいで、その犬はよく子どもたちに囲まれていた。
一斉に何本も伸びてくる腕に体をわしゃわしゃされようが、その犬は動じず、瞼を閉じていた。撫でられることに耐えているのか、諦めているのか、その表情は読めなかった。常に穏やかに目を瞑り、ひんやりしたコンクリートに体を横たえていた。
子どもたちのうちの一人が店内に向かってガラスの引き戸越しに叫ぶ。散歩いいですかー?
するとレジカウンターで売り物のテレビでニュースを見ているおじいさんが片手をあげる。子どもたちは壁にかけられていたリードを勝手に持ってきて、それを犬の首輪につける。すると犬はすっくと立ち上がり、子どもたちと一緒に近所を一周するのだった。
私はというと、道路の反対側にあったポストの影に隠れて、その光景を遠巻きに見ていた。
犬が、怖かった。噛みつかれそうとか、吠えられたらどうしようとか、そういう怖さではない。その犬に対する恐れは、なんというか、「畏怖」であった。そんな私を、その犬は子どもたちの撫でる腕の間から、ちらと薄目で見るだけだった。
奈良美智と、青森で出会った二匹の犬
あの畏れの感覚を、奈良美智氏の犬の作品を見ると強く感じる。というより、大人になって奈良美智氏の作品を知って初めて、あの感情は「畏怖」だったのかと合点がいった。
奈良美智氏といえば、まなざしが特徴的な子供を描いた作品で有名な芸術家。
そんな奈良美智氏が犬をモチーフに作った二つの作品に、氏ゆかりの地である青森県の美術館で出会うことができる。
弘前れんが美術館《A to Z Memorial Dog》
まず1匹目は、昨年オープンしたこちらの美術館にて。
元はシードル工場として使われていたレンガ造りの建物を改修して作られた弘前れんが美術館。れんがの積み上がるエントランスを抜けると最初に出迎えてくれるのがこちらの犬。
全長4.5m、高さ3m。四つ足で立つ胴体は、つやっとなめらか。眠っているような、微笑んでいるような穏やかな表情。
その少し首を傾げた犬の顔は、まるで悟りの域に達した仏様のようにも見えてくる。
青森県立美術館《あおもり犬》
二匹目は青森県立美術館の地下にいる。こちらは高さ8.5メートルの巨大な立体作品。
俯きの姿勢で地面についたその下半身も手足も、よく見ればその先が地中に埋まってしまっている。下から見上げた表情は、内省を促すかのように静寂に包まれ、わびしく、どこか修行僧のよう。
また、屋外に展示されたこの作品は、気候や季節によって印象ががらりと変わる。特に冬。雪が降れば犬の頭や周りにしんしんと積もり、一層神秘的な雰囲気を帯びる。
これら2匹の犬の作品は、一見可愛い。
でもじっと見ていると、その第一印象の奥には、やっぱり厳かななにか、畏れるべきなにかがあると思う。
人間とは違う知覚を持つ彼らはきっと、人間とは違うことを思考しているに違いない。
呼吸に合わせてゆっくり上下する体、鋭い嗅覚、小宇宙のような眼玉、仏のような表情。
彼らは私たちの知らないことを知っている。
そういえば一度だけ、あの犬に触れたことがある。
日曜日の午後、親に投函を頼まれたハガキを手にポストへ向かった時のこと。
無事にハガキをポストに投函し、振り向けば、あの犬はいつもどおり体を横たえて目を瞑っていた。私は道路を横切って、犬に少し近寄ってみた。こんなに近寄ったのは初めてだった。しばらくそこにいると、ガラス越しに見ていたおじいさんが店内から出てきて私にリードを差し出した。私は少し迷って、でもそれを受け取ると、さっきまで目をつむっていた犬はまるでそれを見ていたかのようにすっくと立ち上がった。首輪をつけるために背中に触れると、思ったより固かった。
日曜の午後なのに、外には不思議なほど人がいなかった。一人と一匹。近所を一周しただけの、静かな散歩だった。
街中で大きな犬を見かけると、時々あの犬のことを思い出す。
中学に上がり、通学路が変わって以来、あの道は通っていない。
番外編:絵本『ともだちがほしかったこいぬ』
奈良美智氏の犬が登場する絵本『ともだちがほしかったこいぬ』。
ひとりぼっちのさびしい子犬が少女と出会い、友達になるという心温まるストーリー。
絵も素敵なので、誰かへのプレゼントにもぴったりです。
今回紹介した美術館:
カトートシ
1991年生まれ
大学時代は文学批評を専攻。
書店員や美術館スタッフ、カナダでのライター経験を経た後、
2018年よりカトートシとして活動を開始。
現在は大学で働く傍ら、カルチャー関連のエッセイ等を執筆。
カトートシという名前は、俳人である祖父に由来するもの。
Instagram:@toshi_kato_z
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